病院事業管理者あいさつ

ゆきぐに大和病院のはじまりは、昭和37年11月に大和町国民健康保険診療所として開設されました。昭和38年5月には、後山・辻又地区の出張診療を開始、昭和50年12月には魚沼地域特別養護老人ホーム八色園を開設するなど地域医療の先駆け的な存在として業務を拡大してきました。

その後、昭和51年5月には国保町立大和病院として現在の敷地に86床の病院として移転し、昭和58年2月には増築により200床の国民健康保険町立ゆきぐに大和総合病院となり、平成元年6月には住民健康診査を総合健康診査方式で実施できる健友館がオープンしたことで、建物はほぼ現在の形となっていました。

そして、平成27年6月には魚沼基幹病院の開院を中心とする「魚沼の医療再編」が行われ、平成27年11月に40床のゆきぐに大和病院(平成30年3月に45床に増床)と140床の南魚沼市民病院として分散した2つの市立病院として新たな形での運営が開始されました。

魚沼医療圏は全国と比べても特に医療人材が不足している新潟県の中で最も人口対比の医師数が少ない圏域であり、2つの市立病院も例外ではなく常勤医師がなかなか確保できないまま医師の高齢化が顕在化してきました。そのような状況の中で、令和6年4月から「医師の働き方改革」が施行されることとなり、病院の規模や構造的にも継続的な常勤医師の確保が難しいことから、入院機能は南魚沼市民病院に集約し、ゆきぐに大和病院を無床診療所化することとしました。令和6年11月の診療所化に伴い、ゆきぐに大和診療所、ゆきぐに大和訪問看護ステーション(令和6年4月設置、11月には24時間化を目指す)、ゆきぐに大和ホームケアステーションを柱とする「大和地域包括医療センター」として、従前よりも在宅療養支援機能を強化していきます。

現在、南魚沼地域の医療・介護提供体制は昭和50年代の脳疾患が多かった疾病構造のままとなっており、国が進める在宅医療へのシフトが進んでいない状況であることから、ゆきぐに大和病院の診療所化は単に診療所化するだけではなく、在宅療養の支援機能を充実していくことが地域包括ケアシステムの構築につながるものと考えています。人としての尊厳を重視した豊かな人生の最期を選ぶ三択として、在宅で過ごすのか、入院するのか、介護施設に入所するのかを患者とその家族が選択できる体制を実現しなければなりません。

以上の考え方を実現するためには新たな体制の構築が必要であることから、今後、令和4年3月に策定した「大和病院村構想」の検討内容をふまえた「大和地域包括医療センター構想」としてその実現を提案しています。

大和地域包括医療センターがめざすものは、

(1)地域住民がその人らしく、この地域で生きがいを持った暮らしが続けられるよう支え、地域住民とともに『成長し続ける包括医療センター』をめざします。

(2)地域医療としての役割だけでなく、常に地域住民の目線に立ち、必要とされる事業を地域住民と一緒に考え、利用しやすい医療センターを作り上げます。

(3)地域で安心して暮らしていけるよう医療だけでなく、医療センターの5つの機能(受診する、生活する、相談する、充実する、交流する)を柱として、保健や福祉分野の機能も充実させます。

一方、病院事業だけで理想的な地域医療を維持していくことは難しく、構想の実現には地域住民との意見交換や様々な協力、連携が必要となることから、「大和地域包括医療センター運営協議会」を設置し、運営主体だけではなく地域住民も参画し、直接意見交換をしながら施設の展開について協議していきたいと考えています。

運営協議会には、運営方針に関する諮問を行うとともに、協議するだけではなく実践にも参加し、健康づくり推進員や食生活改善推進員、地域づくり協議会などソーシャルキャピタルの中心として役割を果たしていただきたいと考えています。

南魚沼市病院事業管理者

外山千也(とやませんや)